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水戸地方裁判所 昭和50年(ワ)346号 判決 1978年6月19日

原告 伏木効

右訴訟代理人弁護士 茂木博男

被告 都築美雄

被告 関鉄ハイヤー株式会社

右代表者代表取締役 福田郁次郎

右被告両名訴訟代理人弁護士 神田洋司

同 永倉嘉行

右被告両名訴訟復代理人弁護士 加茂隆康

主文

被告らは連帯して、原告に対し、金一、八八八、〇三七円及びこれに対する昭和五〇年一〇月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は各自の負担とする。

この判決は原告が各被告に対しそれぞれ金五五〇、〇〇〇円ずつの担保を供するときは、その被告に対して第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告に対し、金三、六七九、七五四円及びこれに対する昭和五〇年一〇月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、昭和四七年一〇月一四日午後二時二〇分ころ、足踏式自転車(以下「原告車」という。)に搭乗して茨城県笠間市石井九六六番地の一付近の国道五〇号線を岩瀬方面から水戸方面に向かって走行中、自車の進路前方の右九六六番地の一所在鳥善食堂前の路上に停車中の被告都築美雄(以下「被告都築」という。)運転の普通乗用自動車(車両番号、茨五五あ八四五二号、以下「被告車」という。)を認めたため、被告車の右側方を通りぬけようとしたところ、被告都築が突然被告車の右側前ドアを開いたため、原告の左手背がこのドアに接触し、その衝撃で原告は転倒し、その結果原告は左手背挫創等の傷害を受けた(以下これを「本件事故」という。)。

2  被告都築の責任

被告都築は、自動車運転の業務に従事するものであるから、道路左側端に停車して自動車の道路中央側、即ち右側のドアを開く場合には右側を通行する自動車等の安全を確認すべき注意義務があるのに、本件事故に際してはこれを怠り、自車後方の安全確認をしないで急に被告車の右側前ドアを開いた過失がある。

3  被告関鉄ハイヤー株式会社(以下「被告会社」という。)の責任。

被告会社は、タクシーである被告車の保有者であり、本件事故当時、被告車を自己の従業員である被告都築に運転させ、被告都築をして自己のタクシー営業に従事させていたものであるから、被告車の運行供用者としての責任がある。

4  原告の損害

(一) 治療費

原告は本件事故による傷害の治療費として神里医院に対し金四、六七四円、県西総合病院に対し金二一、八七七円、合計金二六、五五一円を支払った。

(二) 入院雑費

原告は本件事故による傷害の治療のため県西総合病院に九日間入院し、その入院雑費は一日あたり金五〇〇円を要した。そこで、原告は入院九日間で合計金四、五〇〇円の入院雑費を支払い、同額の損害を被った。

(三) 得べかりし利益の喪失による損害

(1) 原告は、本件事故当時六〇歳であったが、金属工芸作家であるので、その職域の特殊性からして少くとも満七〇年までは就労可能である。

(2) 原告の収入は不定期性のものであり、収入額は一定しないので、その収入額を本件事故当時の原告と同年令の男子労働者の平均賃金である年間金一、〇二四、四〇〇円(賃金センサス昭和四七年第一巻第二表による。)と認めるのを相当とする。

(3) 原告は、本件事故の日から後遺症が固定した昭和四八年一二月八日までの間は全く仕事ができなかったのであるから、この間の得べかりし利益の喪失額は前記金一、〇二四、四〇〇円を下らない。

(4) 原告の後遺障害は、自動車損害賠償保障法施行令別表の第一一級に該当するものであるから、その労働能力喪失率は二〇パーセントとするのが相当である。

(5) 原告の後遺症による労働能力喪失による損害は前記金一、〇二四、四〇〇円に前記(4)の労働能力喪失率とホフマン係数を乗じると

1,024,400×0.2×6.589=1,349,954 として金一、三四九、九五四円となる。

(四) 慰謝料

原告は、本件事故による傷害の治療のため入通院のやむなきにいたりよって精神的苦痛を受けたので、これに対する慰謝料は金八〇、〇〇〇円が相当である。また原告は右傷害の治癒した後も左手に残った後遺症によりその創作活動を自由に行うことができなくなって、精神的苦痛を受けたが、これに対する慰謝料の額は金二、〇〇〇、〇〇〇円を下らない。

5  損害の填補

原告はすでに自賠責保険から金八〇五、六五一円の支払を受けている。

6  よって原告は、被告都築に対し加害者として、被告会社に対し被告車の運行供用車として、被告ら連帯して前記4の損害合計金四、四八五、四〇五円から前記5の金八〇五、六五一円を控除した残額金三、六七九、七五四円及びこれに対する本件事故の日の後である昭和五〇年一〇月三日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1については、原告主張の日時場所で原告が転倒した事実は認め、その余は否認する。原告は、道路上の穴に原告車のハンドルをとられて自ら転倒したものである。

2  請求原因2の事実は否認する。

3  請求原因3については、被告会社が被告車の保有者であること、被告都築が被告会社の従業員であることは認め、その余の事実は否認する。

4  請求原因4の事実は不知。

5  請求原因5の事実は認める。

6  請求原因6の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  原告が昭和四七年一〇月一四日午後二時二〇分ころ茨城県笠間市石井九六六番地の一付近の国道五〇号線上において転倒したこと(以下これを「本件転倒」という。)、原告が自賠責保険から金八〇五、六五一円の支払を受けていることについては当事者間に争いがない。

二  原告は、原告の本件転倒は、被告都築が被告車の右側前ドアを開いたため、このドアと原告車に搭乗して走行していた原告の左手とが接触したために発生したものである旨主張するところ、被告らは、これを争い、本件転倒は原告が道路上の穴に原告車のハンドルをとられた結果発生したものである旨主張する。そこで以下これらの主張について検討する。

1  《証拠省略》並びに前記一確定事実を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(一)  原告は昭和四七年一〇月一四日午後二時二〇分ころ足踏式自転車である原告車に搭乗して茨城県笠間市石井九六六番地の一付近の国道五〇号線の左側車線上の左側端から約八〇センチメートルの位置を岩瀬方面から水戸方面に向かって走行し、進路左側の右九六六番地の一所在の鳥善食堂前付近に到った。その時原告車の前方走行車線上の左側側溝に近接し、右島善食堂の前付近に水戸方面に向って被告都築運転のタクシーである被告車が停車していた。被告都築はそのころ右鳥善食堂に居住していたが、被告車の運転席に座って同車の左側の窓を開けてその左外側の側溝上付近に立っていた姉の都築かね、自分の妻ら自己の親族と当時重篤状態にあった自分の実母都築フチ子の容態について話していた。原告は、被告都築が停車する被告車に右のような状態で乗車している際に、その後方から前記のように被告車に接近し前記国道の左側走行車線上を被告車の右側に出て同車を追越そうとした。その付近の右国道の幅員は約一三・七メートルあり、中央線が設けられており、その左側車線の幅員は約六・五メートルであった。原告は被告車を追越そうとして同車の右側方に到った際に原告車もろとも転倒し(本件転倒)、後頭部を強打して脳振とう症を起し、被告車の右側方の走行車線上に頭部を岩瀬方面にし、足を水戸方面のやや鳥善食堂寄りに斜めにして仰向けに倒れ数分間意識を失った。原告車は原告の傍に後部車輪の泥よけが少しへこんだ状態で倒れていた。被告車の運転席にいた被告都築が直ちに同車から外に出て原告を助け起し、被告会社を通じて笠間市消防署に救急車の出動を要請した。同署は交通事故として救急車を出動させ、右救急車は数分後には現場に到着した。救急車の到着したころ、原告は意識を回復し、被告都築及び本件転倒現場に集った近所の人々の世話をうけ、出血していた左手指の応急手当を受けていた。原告は自力で救急車のタンカに乗り、救急隊員によって救急車に乗せられ数分後に同県笠間市笠間一二五六番地の神里医院に収容されて手当を受けた。被告都築は本件転倒現場に来た被告会社の係員に被告車を預けて直ちに右神里医院に赴き、医師に本件転倒の状況を説明した。原告は同医院の医師神里兵一の治療を受けたが、そのときの同医師による原告の身体の負傷についての診断は、頭部に長さ五センチメートルの挫創、左手に長さ五センチメートルの挫創兼左小指、中指、環指脱臼、顔色蒼白、意識不明、脈搏六三、血圧一二〇というものであった。原告は左手小指の付け根の皮膚を一針縫合を受けた。原告は同日夕方神里医院を退院し、被告会社を通して無線で業務運転中の被告都築を呼び、被告都築運転のタクシーで原告の甥の家まで送ってもらった。原告は、被告都築に対し本件転倒後の救護、その他の世話を感謝し、右甥の家において夕食を被告都築にふるまい、また右退院に際してのタクシー代として金二、〇〇〇円を支払った。

(二)  原告は、その後自宅において静養していたが、左手指の傷が軽くないので昭和四七年一〇月一八日茨城県西茨城郡岩瀬町大字鍬田六〇四番地県西総合病院に入院して治療を受け、症状固定したとして同月二六日同病院を退院した。そのころ原告の左手の中指、薬指、小指は、関節の運動障害が起き、関節拘縮となって手を握った際指が手のひらにつかない状態であった。原告は退院後善鳥食堂に赴き本件転倒後同食堂に預ってもらっていた原告車を受取り、その謝礼として同食堂の者に対し金一、〇〇〇円を支払った。原告は、本件転倒直後の意識喪失により、自分が原告車に搭乗して被告車の右側方を追越そうとして同車の右側付近に到達する時点までの経過の記憶はあるものの、それ以後転倒して助け起されるまでの経過は記憶がなかったが、左手背の挫創及び頭部の挫創の重いことから本件転倒が自己と被告車との接触によるものと推測し、同年一一月中旬ころ笠間警察署に出頭し警察官に対し本件転倒が被告都築運転の被告車と自己の搭乗する原告車との間の交通事故によるものであるとして捜査してくれるよう申入れた。そこで同警察署の警察官は被告都築を同警察署に呼んで原告及び被告都築の双方から本件転倒の際の事情を聴取したが、原告は本件転倒時の状況について記憶がないのに対し、被告都築が被告車と原告との接触の事実を否定するうえ、本件転倒後時日を経過して目撃者もないことから交通事故として立件することは困難と判断し、原告にその旨告げた。原告は一応笠間警察署を退去したものの右警察官の処置に納得しえず、本件転倒現場のある国道五〇号線をはさんで鳥善食堂の反対側にある雑貨店に赴いて五十風以つ乃から本件転倒のころの状況についての事情を聞き出し、同年一二月ころ同警察署に対し書面をもって重ねて本件転倒を被告車との接触による交通事故として捜査してくれるよう要請し、その事故の目撃者として右五十嵐以つ乃を取調べてくれるよう申出た。そこで同警察署警察官は右五十嵐以つ乃から本件転倒前後の事情を聴取したが、同人が原告が周囲の人々によって助け起される時点以前の状況については目撃していなかったから、右五十嵐から明確な供述を得ることができなかった。警察官はその他付近の聞き込みをしたが原告の本件転倒の状況について知る目撃者の発見に到らなかった。その後笠間警察署による捜査は進展せずはっきりした事情も判明しないままであった。原告は自動車損害賠償責任保険金の請求手続のために交通事故証明書の交付を笠間警察署に求めたが、同警察署が交付してくれないため、更に茨城県警察本部長宛要請の手紙を出し、その結果昭和四八年一一月一〇日付で笠間警察署長発行の交通事故証明書(甲第一二号証はその写)の交付を受けた。この証明書には被告都築と原告との間の交通事故について事故類型不明につき調査中と記載されていた。原告は右交通事故証明書を使用し同和火災海上保険株式会社に対し被告車について本件転倒に関して自動車損害賠償責任保険金の被害者請求をし、昭和四九年八月一六日右保険金八〇五、六五一円の支払を受けた。被告会社はその後右保険会社から原告に対し右保険金の支払がされたことを知ったが、原告が右保険金額以上の金員の支払を被告会社に対して求めない限り原告の右保険金の受領を黙認することにしていた。

2  被告都築本人は、原告が本件転倒現場にさしかかりそこがカーブであったところ、前方に被告車が停っているのであわててハンドルを切ってこれを避けようとしたが、道路の表面に大きな穴があいていたためハンドルをとられて自ら原告車を転倒させた旨供述する。

しかしながら、原告の搭乗していた原告車は前記のとおり足踏式自転車であり、しかも原告は本件転倒当時五九歳と比較的高齢であったから、原告が転倒の結果前記1判示のように重い傷害を受け、しかも後頭部を強打して意識を一時喪失するに到るような危険な高速度で原告車を走行させていたとは考えられず、また舗装されていた国道上に被告都築の供述するように穴があいていて道路状態が悪かったとしても、《証拠省略》によれば原告が原告車のハンドルをとられて転倒し前記1判示のような強度の傷害を受ける程の悪い道路状態であったとはいえない。しかも原告が原告車に搭乗していて自ら転倒したのみで、前記1判示のような態様で倒れ、その際後頭部を強打して意識を一時喪失するとともに左手の中指、薬指、小指に前記1判示のような態様の創傷を受け、しかも、小指の付け根に縫合を受けるような状態にたちいたることは疑問であり、原告がこのような転倒の仕方をするのには、原告若しくは原告車に直接的に相当強度の外力が加えられたことが原因であると考えざるをえない。

前記1判示の事実のもとに、右の事情を考慮すれば、原告が本件転倒現場の道路の表面にあいていた大きな穴に原告車のハンドルをとられて転倒した旨の被告都築本人の供述は信用することができない。

3  《証拠省略》によれば、原告の本件転倒の前後において原告車の近くには被告車を除いて自動車、自転車等の車両もなく、また原告車の走行車線上に歩行者その他原告車の進行を妨げる物体が存在しなかったことが推認される。

4  《証拠省略》並びに前記1判示事実、特に原告の原告車に搭乗している時の身体の姿勢、手の位置、本件転倒に際して原告の左手に受けた創傷の部位、形状、程度、原告が転倒した直前の状況、転倒地点等を総合し、しかも前記2及び3判示の事情、《証拠省略》によって知られる本件転倒が発生した際の被告都築のおかれていた事情を考慮すれば、原告は原告車に搭乗して前記1判示のとおり停車している被告車をその右側から追越そうとした際に、原告車の直前において急に被告都築が被告車の右側前部、即ち運転席のドアを開いたため、このドアの縁に原告車のハンドルを握っている原告の左手の外側、即ち中指、薬指及び小指の手背側の部分が接触して原告の左手に前記1判示のような創傷を与え、その接触による衝撃によって原告は原告車もろとも被告車の右側の道路上に転倒して後頭部を強打し、頭部に前記1判示の創傷を受け一時意識を喪失する事故(以下「本件事故」という。)が発生したものと推認される。

5  しかるに、被告都築本人は、自分が被告車の運転席に座り前記1判示のとおり都築かねらと話している際に右後方でドスンという音を聞いたので被告車の運転席の窓を開けて後方を見たら原告が倒れていた、そこで運転席のドアを開けて被告車から降りた旨供述するが、この供述のうち原告が転倒した後初めて被告都築が被告車の運転席のドアを開いた旨の供述部分は前記1ないし4に判示したところに照らして信用することができない。証人都築かねも右供述部分と同旨の供述をするが、これは推測にもとづくものであるうえ、右と同じ理由から信用することができない。

そして、他に前記4の推認を妨げる証拠はない。

三  そこで、被告都築の過失の有無について検討する。

《証拠省略》並びに前記二1及び4確定事実を総合すれば、被告都築は被告車を運転して本件事故現場に到り、同所の国道五〇号線の走行車線左側端付近に停車したが、自動車運転者としては右側運転席のドアを開けようとする場合には自車の右側を通行する車両の有無を確認すべき注意義務があるのに、これを怠り、たまたま停車中の被告車の右側をとおって後方からこれを追越そうとしている原告車を確認することなく原告車の前方で急に被告車の右側前部ドアを開いた過失があることが推認され、この認定に反する被告都築本人尋問の結果は前記二に判示した事情により信用することができない。

四  したがって被告都築は加害者として本件事故による原告の損害を賠償する義務があるものというべきである。

五1  被告会社が被告車の保有者であること及び被告都築が被告会社の従業員であることについては当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》並びに前記二1及び五1各確定事実を総合すれば、被告会社の従業員である被告都築が被告会社の保有する被告車を運転して被告会社の営業であるタクシー業務に従事している間被告都築が被告車を本件事故現場に一時停車させている際に本件事故が発生したものであることが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

3  前記2確定事実によれば、本件事故当時、被告会社は被告車を自己のために運行の用に供していたものというべきである。したがって、被告会社は本件事故によって原告の受けた損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

六  そこで、本件事故によって原告の受けた損害について検討する。

1  治療費

《証拠省略》及び前記二1確定事実によれば、原告は本件事故によって被った傷害のために神里医院において治療を受けその治療費として金四、六七四円を支払い、その後更に県西総合病院において治療を受けその治療費として金二一、八七七円を支払い、結局本件事故によって治療費として合計金二六、五五一円を支払った事実が認められ、この認定を妨げる証拠はない。

2  入院雑費

《証拠省略》及び前記二1確定事実によれば、原告は本件事故により被った傷害の治療のため県西総合病院に九日間入院した事実が認められる。そして右入院中に諸雑費として原告は一日平均して金五〇〇円を支払ったものと推認される。したがって原告は入院九日間で入院雑費合計金四、五〇〇円の損害を受けたものというべきである。

3  得べかりし利益の喪失による損害

(一)  《証拠省略》によれば、原告が金属工芸作家であり、本件事故当時五九歳であったが、その職域の特殊性から満六七歳までは就労可能であること、原告の職業の性格からして原告の収入は不定期性のものであり、収入額は一定していないことが認められる。そこで原告の本件事故当時の収入額を原告と同年齢の男子労働者の平均賃金を参考にして原告主張のとおり年間金一、〇二四、四〇〇円と認めるのを相当とする。

(二)  前記二1、六1及び2確定事実によれば、原告は本件事故による傷害のため神里医院及び県西総合病院において治療を受け、昭和四七年一〇月二六日症状固定したことにより県西総合病院を退院したこと、したがって原告は本件事故により約半月間働くことができなかったことが認められる。したがって原告はその間に半月分の収入額金四二、六八三円を得べかりしところ、これを失ったものというべきである。ところが原告は本件事故の日から昭和四八年一二月八日まで働くことができなかった旨主張するが、本件全証拠によるもこれを認めるに足りない。

(三)  前記二1確定事実、《証拠省略》によれば原告は本件交通事故によって左手中指、薬指、小指に運動障害があり、手を握ったときこの左手の三指を手の平につけることができない状態であるから、この左手の三指はほぼその用廃したものといわざるをえず、その後遺障害は自動車損害賠償保障法施行令別表の第一一級に該当することが認められる。右認定事実及び原告の金属工芸作家としての職業の性格を考えると、原告は本件事故による後遺障害によって将来にわたりその労働能力の二〇パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。そこで、本件事故の後傷害の症状固定して再び働くことができるようになった時から原告が六七歳となる昭和五五年までの八年間について原告の右後遺障害による労働能力喪失による得べかりし利益の喪失による損害額を一時払額に換算することとし、ホフマン式計算法に従い年毎に民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除すれば、

1,024,400×0.2×6.589=1,349,954 として、金一、三四九、九五四円となる。したがって、原告は右金一、三四九、九五四円の得べかりし利益を一時に喪失し、右同額の損害を被ったものというべきである。

4  慰謝料

前記判示の本件事故によって被った原告の傷害の部位、程度、治療期間、後遺障害、原告の職業等本件における諸般の事情を考慮すれば、原告が本件事故によって受けた傷害のために被った精神的損害に対する慰謝料を金七〇、〇〇〇円、右傷害の後遺症によりその創作活動に支障をきたすようになったこと等による精神的損害に対する慰謝料を金一、二〇〇、〇〇〇円とするのが相当である。したがって、原告の慰謝料は合計金一、二七〇、〇〇〇円となる。

七  損害の填補

原告がすでに自賠責保険から金八〇五、六五一円の支払を受けたことは前記一判示のとおりである。

八  結論

以上判示したところによれば、被告都築は加害者として、被告会社は被告車の運行供用者として連帯して、原告に対し前記六の損害合計金二、六九三、六八八円から前記七の金八〇五、六五一円を控除した残額金一、八八八、〇三七円及びこれに対する本件事故の後である昭和五〇年一〇月三日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるものというべきである。したがって原告の被告らに対する本訴請求は右の金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 下澤悦夫)

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